いくつになっても青春気分は味わえます。

標準

ナビゲーションシステムを設定して少々離れたモールに車を運転して行きました。その時に見覚えのある小道に誘導されました。そこは、3階層手前ハイスクールの役員を通じていたときの母のご在宅前の早道でした。「このあたりにS君の住まいがあったような気がする」と思い懐かしくて探していました。そうなると借家の人寄せが扉の前に立っていました。「確かここだったハズ」という思い出をたぐり車の速度を落として可愛く見ましたが確かにS君のお宅でした。「お移転されたのね」と思いながら言わば頭がキュンとして動揺してしまいました。「落ち着け落ち着け」って自分に言い聞かせモールに到着しました。
乳児が高校だった時、あたいはアピールの役員を3通年やっていました。S君もおんなじ学年でアピール部でした。他の学年は8名近辺役員がいるのですが私達の学年は6名で小さめでした。ハイスクールの学徒の具合やドクター、部活、イベント周辺を紹介するアピール読物を形作り階層3回、3年間で9回のアピール読物を供給しました。そのたびに何日か集まるのですがおんなじ学年のお母さん達ってつい仲良くなり勉学以外でもランチタイムをするようになりました。
その3年間でおんなじ学年のお母さん達には息子のバイク悲劇、義理の父母の疾病や死別、息子の退学、長男の急死、乳児が未婚の母体になったりといったほんとに色んな事が起こりました。アピール読物に載せるドラフトをチェックしながら愚痴や困難を話しました。ハイスクールとなると小中校とは違い学区がないのですべて、幾らか離れている所にいるので気軽になんでも話せました。ハイスクールの修了バージョンの先々も皆で鈍いランチタイムに行きました。それから一度だけランチタイムをした事があるのですが忙しさにかまけて会っていませんでした。
勉学の3年間の役員はとても困難でした。忙し時間を割いてハイスクールまで赴き、アピール読物の為にインタビューに行ったり、誤字、脱字でおわびを載せ、次は有難いアピール読物を発行するぞという意気込んで過ごしてきた時間は楽しかったのだと思います。S君のお宅の借家の人寄せを見て頭が痛くなったのは、いつでも巡り会えるとしていたからです。複数になっても胸を熱くして夢中になって過ごした時間はある意味、青春と同じだったのかもといったおこがましくも思ってしまいました。公式サイトはこちら